少し、不味いな。先程の射撃。あれは凄まじい正確さだった。恐らく、僕の向こうにいる相手は、殺し屋。しかも凄腕の。更に下手をすると、普通の人間ではない可能性が考えられる。力を解放しなければいけないかもしれない。



狂華

第一章
第六話:異常者二人




『彼』は普通だった。スーツに身を包み、しっかりとネクタイを締めて、革靴を履いていた。一見すると極めて普通のサラリーマン。そう取れてもおかしくはないだろう。左手には長い棒のようなものを持っているが、まだ、許容範囲だろう。だが、右手に持っているものが彼を異質に変化させていた。
「望み通り出てきてやったぞ、殺し屋」

男は右手に構えている異質な物―――銃を青年の方へ向けていた。その様子に青年は更に警戒心を強める。最早、眼前と言っても差し支えない距離で銃を向けられていた。しかし、青年は、恐怖の念をおくびも見せないどころか、警戒を解いて男を銃の射線から外しさえした。
「弾切れした銃では、殺せるものも殺せないんじゃないかな、殺し屋?」
「ハハハハッ、それもそうだな。だが、弾が切れているのは俺だけじゃない。お前もだろう、殺し屋?」
「良く分かったね……名前は?」
「名前? 殺し屋が自分の名を明かすか?」
「それも、そうか」
「それに俺は名前を捨てた、殺し屋になった時からな……」
「ふーん、なるほどね」

青年は穏やかな口調で会話を続ける。そこには緊迫感と言うものがない。さも、友人との会話をしているように。 青年はさらに銃を手放す。カラカラ、と冷たい音を放ちながら銃は床を転がって行った。男も同じように手に握っている銃を後ろに放り投げる。 数瞬の沈黙。そして。
「ああ、でも殺し屋としての名はあるぞ?」
「そうかい。それで? 名は?」
切鬼せっきだ。貴様は?」
「ブラッディー・アイ、君達のような者専門の殺し屋だ」

そう言うと同時に青年―――ブラッディー・アイはバックステップを踏み、男―――切鬼との距離を離す。直前、ブラッディー・アイの目の前を何かが掠めていた。切鬼が左手に持っていた棒であった。凄まじい風圧と共に繰り出されたそれは、彼の前髪の数本を刈り取るだけに終わった。しかし、ブラッディー・アイは警戒心を高める。避けることができたのは運によるものが大きかった。
「ほう、これを避けるか。さすがに外の連中を皆殺しにしただけはある」

外にいた兵士達とは桁が違う。それこそ、自分と同じように。ブラッディー・アイは懐からナイフを取り出す。お互いの実力はほぼ拮抗している。間合いの差は歴然。武器の破壊力の差も歴然だろう。ナイフであの棒の一撃を受けたら、一瞬で砕け散る。 ブラッディー・アイは切鬼の動きに注意しながら、少しずつ間合いを近付ける。勝負は一瞬。一撃でも受けたら即死だ。 半歩、ブラッディー・アイが摺り足で前に出た直後、切鬼は恐ろしい速度で右手を振るった。ブラッディー・アイは身を屈め、必殺の一撃を紙一重で避ける。頭上を何かが駆け抜ける。それと同時にブラッディー・アイは切鬼の懐に飛び込む。ナイフの刃を前方に据えた刺突。その一撃は切鬼に届かない。さらに一歩を踏み出す。 だが、体は右に跳んでいた。頭上から感じた恐ろしいまでの殺意。それを本能的に感じ取ったブラッディー・アイは横に跳んでいた。白刃がブラッディー・アイの赤い左目に映る。切鬼の使っている武器は恐ろしい長さの野太刀だった。その刃が急激に軌道を変化させ、すくい上げるようにブラッディー・アイの喉元に襲いかかってきた。とっさに体を右に倒し、難を逃れる。そのまま、勢いを殺さず転がり切鬼との間合いを離す。牽制とばかりに懐から取り出した数本のナイフを投擲するが、響いたのは乾いた金属音だけだった。
「ここまで俺の攻撃を避けられた者は久方ぶりだな」
「ここまで苦戦するのは久しぶりと言ったところかな」

ブラッディー・アイは体を沈め、切鬼に突貫する。それに対し、切鬼は野太刀によるリーチを生かした突きを繰り出す。風圧を伴うほどの速度で迫り来る白刃を、しかしブラッディー・アイは避けようともしない。ナイフを野太刀の切っ先に擦り合わせ、思い切りナイフを持った右手に力を込めて白刃の軌道をずらす。だが、完全に反らせることはできず、ブラッディー・アイの右腕に裂傷がつく。空中に鮮血が飛ぶ。だが、鮮血が地に着かぬ間に、すでにブラッディー・アイは一歩を踏み込んでいた。左手で新たに取り出したナイフを振るう。
「がっ!?」

ブラッディー・アイの口からうめき声が漏れる。 確実に心臓を捕らえていた一撃がぶれた。同時に切鬼との距離が離れている。胸部に凄まじい衝撃を受けたのと切鬼が回し蹴りを繰り出す姿を捉えたのは一瞬。ブラッディー・アイは蹴り飛ばされていた。あまりの衝撃に体が浮き上がる。体勢を整えようにも空中では動けない。このままでは不味い。そういう思考が浮かんだのもまた一瞬。
―――ズブリ

ブラッディー・アイの腹部を野太刀が貫いていた。回し蹴りの回転を生かした連続的な攻撃だった。ブラッディー・アイの背中から、血に濡れそぼった刀身が突き出ている。血がブラッディー・アイの足元に溜まっていき、血溜りを形成する。
「勝負あり、だな」

そう言うとおもむろに野太刀を引き抜く。辺りに鮮血が飛び散る。ブラッディー・アイは血溜りの上に片膝をついた。その顔には苦悶の表情が浮かんでいる。腹が焼けるように熱い。間違いなく内臓はやられている。口元から零れる血を拭い、腹部を押さえる。が、血は止まらない。
「ぐっ……ハァ、ハァ、君は何者だ? 本当に、人間か……?」
「こんな異常な人間がいたらおかしいだろう」
「なる、ほど……それが、解答、か。最近の生物…兵器は、おそ、ろしいな……」
「貴様もだろう? 先ほどまでの動き、普通の人間では有り得ない」
「ご名答、かな?」

ゆっくりと、だが確実にブラッディー・アイは立ち上がった。切鬼は驚愕に目を見開く。間違いなく、立ち上がることができるほどの傷ではなかったはずであった。
「僕は君と同じく遺伝子操作が施された生物兵器だ。筋力、動体視力、瞬間的な認知能力、どれを取っても普通の人間とは比べられないほどの力を与えられている」

悠然と会話を続ける。すでに血の滴る音はない。
「でも、君と違うものがたくさんある」

切鬼の目が不可思議なものを捉えた。ブラッディー・アイの足元の血溜りが意思を持っているかのようにうごめいている。緩やかに動くそれは次第に速度を速めていく。
「僕は初期の実験体でね。体中にありとあらゆる異常を埋め込まれたんだ」

血が重力に逆らい、ブラッディー・アイの手元に集まる。それの形が、輪郭が明確になっていく。ブラッディー・アイの足元にあった血溜りは全て消えていた。かわりにブラッディー・アイの右手には紅い紅い刀がおさまっていた。 切鬼は野太刀を握り直した。爛々と、数分前よりも、さらに濃く深い赤色に染まったブラッディー・アイの左目を見て恐怖を感じた。あまりにも通常からかけ離れた有り得ない未知の力に恐怖した。
「君はどこまで異常な僕に耐えられるかな?」

ブラッディー・アイの姿が掻き消えた。切鬼は辛うじてそれに反応できた。おもむろに野太刀を両手で握り、左側に刃を向ける。けたたましい金属音。切鬼の左手にブラッディー・アイが立っていた。右手で血の刀を握り、切鬼の野太刀を押しやる。彼の刀は少し前まで血だったと思えないほどの硬質感を秘めていた。
切鬼はブラッディー・アイの刀を押し返す。だが、少しも動かない。先ほどまでとは桁の違う腕力。切鬼が両手で太刀を握っているのに対し、ブラッディー・アイは片手で刀を握っている。
「ぐ……」
「まだまだ」
「な!?」

切鬼の口から驚いた声が漏れる。ブラッディー・アイの刀が、たわんだかと思うと刀の上部から曲がった。刀身が細くなり、曲がった部分から刀が伸びる。とっさに切鬼は後ろに跳んだ。 切鬼が目で捉えたのは線だった。完全に下がり切れなかった太刀を持っている手をその線は通過していた。両の足が地面に着く時、すでに切鬼の右腕は肉体から離脱していた。その瞬間にようやく斬撃があった事を理解した。切鬼を追うようにブラッディー・アイは曲がったままの刀を振り抜いていた。 切鬼は勝算を模索する。だが、見つかるはずもない。力の差は歴然。右腕を失い、武器も失った。ただ、ブラッディー・アイが上段に刀を構えるのを眺めるだけだった。
「やれ。貴様の方が異常らしい」
「無論。君を殺すのも僕の目的の一つ」

そう言って、ブラッディー・アイは袈裟懸けに刀を叩きつけた。肩口から胸を通り、腹部に至って、人の形を保ったものが両断される。刀の軌跡は切鬼の命を完全に摘み取っていた。 血が迸る。生きていたという証。それが切鬼だった物の周りに降り注いだ。床に赤が広がり、切鬼はただの肉塊と化した。それをブラッディー・アイはただ眺める。 彼が人としての道を捨て、なぜ生物兵器へと身を堕としたのかは分からない。彼は人としての名を捨てた、と言った。それは人としての存在を捨てたということ。人という存在を捨ててまですべきことがあったのかもしれない。それはもう永遠に消えた。ブラッディー・アイは彼を突き動かしていた存在定義と共に彼を斬り捨てた。 だが、それこそがブラッディー・アイの生きる意味に直結していた。 異常を殺す異常。その異常は復讐を望んでいる。大切な者を奪った者への復讐。そのために異常を殺す。復讐の相手は異常の側にいる確率が高い。だからこそ、彼は異常さえも斬れる。
「悪く思わないでくれ……」

それは憐憫か。それとも自己正当化か。ブラッディー・アイの呟きは己の足音で掻き消える。 彼の仕事はまだ終わっていない。障害の一つを排除したに過ぎない彼は奥へと進んで行った。

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