私には願いがある。一つだけだが、叶えてもらいたい願いがある。実は、その願いは普通の人間でも簡単に叶えることが出来る。しかし、私はそれを実行できない。その願いとは―――死だった。
私は死を願っていた。生から逃れる為に。ただ、死にたかった。しかも最近は、死を考える思考が大半を占める。どのように死のうか。何時、死のうか。どんな思いで死のうか。どんなことを残して死のうか。毎日毎日来る日も来る日もひたすらその事ばかりを考えている。
正直言えば、私は社会的に考えておかしいのだろう。死を願う生物。生物の本能の反対のことをひたすら願う私。死とは生物にとっては絶対的な恐怖であり、全ての生物に付き纏うものである。私はそれが早まることを願っている。だからこそ、おかしいのだと思う。自分でもそう思っているのに、死に関する願望は日を追う毎に強まっていく。
私は毎日横になって過ごしている。ただ、ずっと横になって過ごす。非常に退屈で憂鬱な毎日である。言っておくが、怠惰な人間と言う訳ではない。私は病に冒されているのだ。治療法は不明。病状は何も行動できなくなること。ただ、生きているだけ、思考が出来るだけ。しかし、自分の考えたことを誰にも伝えることは出来ない。喋れないのだ。聞くことも触られていると言う感触もある。ただ、何処も動かせない。瞳も動かないから瞬きも出来ない。乾燥を防ぐ為に、目は医者によって閉じられている。
毎日が生き地獄だった。思考のみが今の私に許された活動。それ以外は何も出来ない。死を願っても死ねない。
そして、死ぬこともない。チューブの先に繋がっている液体が、私を死から遠ざけている。それを外してくれと何度願ったか。細い針からも私に液体が、送られ続ける。その針を私の胸に突き刺してくれと何度願ったことか。
時々、人が私を見舞いに来る。声が聞こえるから分かるのは当然である。
父が大丈夫かと聞いてくる。大丈夫じゃない。痛みや苦痛は全く伴わないが、苦しい。胸の中を掻き毟りたくなるような精神的苦痛が、毎日私を襲っている。思考、思考、思考、毎日の活動がただ考えることのみ。それ以外は一切が許されていない。苦痛以外の何者でもない。
母が私の頭を撫でてくる。愛おしさのつもりだろうが、私はそんなことは望んでいない。頭を撫でるのではなく、側にある物で叩き割って欲しい。側にある果物ナイフを私の胸に、腹に、腕に、足に、何処に突き立ててくれるのも良い。
私が病気になる前に、学校に居た頃に良く遊んでいた友人たちが私の病室で会話をしてくれる。誰かが言っていた。親なんてウザイだけだし、殺してやりたいと思う、と。それなら、親を殺す前に私を殺して欲しい。私を殺人の実験台に使って欲しい。どんな風にすれば、死ぬのか。如何なる痛みを伴っても構わない。
死にたい、と常に考える。しかし、動けないから死ねない。では、動けるようになったら如何なのか? そうなると死にたくはなくなるのだろう。思考以外の活動が出来る。だからこそ死にたいと言う欲望は消えるに違いない。
結局のところ、私は解放されたいだけなのだ。別にそれが病気が治ることでも構わない。だが、今の状況が続くくらいなら死んだほうがマシ。ただ、それだけなのだ。それで私は死を願う。
そう、私にも未だ人間らしい感情は残っている。楽がしたい。この感情だ。何だかんだ言っても今の私にとって死とは楽に繋がるものだ。死によって私は解放される。それが楽。こう、死にたい死にたいと思い悩み続けることよりも楽。
だからこそ、私は死を願い、死を手に入れることのみを願い続ける―――
後書きに似た言い訳
どうも明鏡止水あらため冥凶死衰(ぇ)です。
えと、何て言うか……
こんな暗いので申し訳ありません。
正直、自分の頭はおかしいのとちゃうかな……
そして、何気に執筆時間が私の中で最速です。
こんなスピードで何時も書けることを願いつつ、この辺りで筆を置きます。